たのしくいこうぜ

あーんなことやこーんなことを、徒然なるままに。

「攻めの気配り」

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小さい頃から人の顔を伺って育ったからか、割と人の心の変化にはよく気づきます。
特に、落ち込んでいたり悩んでいたりと気落ちしている時。

お節介焼きなので、基本的には何かしらのアプローチを試みます。
放任も一つの手段だと理解はしているのですが、どうにも放って置けないのですよね。笑

そんな時に率先しているのが、"攻めの気配り"。
普通、能動的に個人の悩みに関わる必要はないのですが、そこであえて一歩踏み込みます。声を掛けます。

弱ってる人の心に気づいてあげられたのなら、その気づきは大切にしたい。
だから、その気持ちは行動にも移したいと思っていて、実際に動きます。
…我ながら本当にお節介。笑

人の心に寄り添うには勇気が要ります。
自分なんかが介入したところで何か良い方向に変えてあげられるのか。
そもそも警戒させてしまうのではないか。

でも、それで少しでも救われる人が一人でもいるなら、と、わたしは"攻め"ます。

ただ、本当にひとりで物事に向き合いたい時はありますよね。
なので、そこは適宜適度に対応します。
攻めの気配りは、自分の考えを押しつけることではなく、"一緒に考えるための相手になる"ことだと思いますので。

もし、ひとりにして欲しいという空気を感じたならば、気に掛けつつも無理に攻めずに、待機です。
こう言ってるわたしも、考えたい時ってひとりにして欲しかったりするので。笑
気持ちはすごく分かります。
ので、尊重します。

そのバランスが難しいですが、でも何より人の心に敏感であるべく、攻めの姿勢は大切にしています。

人との距離が近づき、
それが自分への新たな発見に繋がったりする。
だからこそ、やめられないのかな。笑

自分自身に余裕のある時でないと難しいですが。
これからも大事にしたい、価値観の一つです。